大判例

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広島高等裁判所松江支部 昭和53年(ネ)63号 判決

第六三号事件控訴人兼第七〇号事件被控訴人

(第一審被告。以下「一審被告」という。)

右代表者法務大臣

坂田道太

右訴訟代理人

森脇孝

右指定代理人

石金三佳

外五名

第六三号事件被控訴人兼第七〇号事件控訴人

(第一審原告。以下「一審原告」という。)

立原進

右法定代理人親権者父

立原廣

同母

立原芳江

第七〇号事件控訴人(第一審原告。以下「一審原告」という。)

立原廣

立原芳江

右三名訴訟代理人

梅村義治

主文

一  原判決中一審被告敗訴の部分を取り消す。

二  一審原告立原進の請求を棄却する。

三  一審原告立原進は一審被告に対し、金三二五万四〇二〇円及びこれに対する昭和五三年九月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  一審原告らの控訴をいずれも棄却する。

五  訴訟費用は第一、二審とも一審原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一診療の経過等

一審原告立原進は昭和四二年九月四日生まれの男児で、昭和四四年九月一五日夕刻から発熱し、喘鳴があつたので、その治療のため翌一六日、一審被告の設置する国立浜田病院小児科外来を訪れ診療の申込みをし、一審被告がこれを承諾して、右当事者間に一審原告ら主張のような診療契約が成立したこと、同病院医師江村壽は右症状を毛細気管支炎と診断し、同日から同月一九日まで一審原告進を通院させ、この間、同病院看護婦矢田幸子に指示して、同月一六日から一八日まではネオスペロン各一本、同月一九日にはネオスペロン及びテラマイシン各一本の筋肉注射をさせるなどの治療をしたこと、ところが、同原告は、右一九日の注射後の夕刻、右足に麻痺を生じて歩行不能となつたため、翌二〇日前記病院整形外科医師礒部憲二の診療を受けた結果、右坐骨神経不全麻痺と診断され、即日同病院に入院し、昭和四五年五月二日の退院まで、ビタメジン静注、局所温湿布、マッサージ等の治療を受けたこと、同原告には原審口頭弁論終結時において、右坐骨神経麻痺、右臂部、右大腿部、右下腿部、右足部の筋萎縮等一審原告ら主張のような症状、障害が残存していたこと、以上の各事実は当事者間に争いがない。

そして、〈証拠〉によれば、矢田看護婦は、江村医師の指示に基づき一審原告進に対し、昭和四四年九月一六日から同月一八日まで、左又は右臂部に交互にネオスペロン0.7又は0.8ccの筋肉注射一日一本あてを、次いで同月一九日午前一一時一五分ごろには、左右各臂部にテラマイシン五〇ミリグラム及びネオスペロン0.8ccの筋肉注射各一本をしたこと、これらの注射はともに臂部上いわゆる藤河氏点を目標に、その上外側方四分の一の個所に打たれたが、いずれの場合も同原告に異常号泣、末梢端けいれん性反射等は見られなかつたこと、同原告は右一九日帰宅後、午後一時ごろから午睡し、同四時ごろ目覚めたものの、一度も立ち上がることなく同八時ごろ就寝したところ、翌二〇日朝には右足が弛緩したままで全く歩行できない状態となつていたこと、そこで、同原告は右同日浜田病院に赴き、江村医師の指示によつて礒部医師の診察を受けたところ、同医師は運動機能障害や痛覚異常の有無を検査するなどした結果、右坐骨神経不全麻痺と診断したこと、なお、江村医師は後日の参考資料とするため、同年一〇月一一日ごろ、同病院の御厨理療士に指示して同原告に対し、電気変性反応検査(前掲乙第一号証の一一)を実施させたことが認められる。

右認定事実によれば、一審原告進は右一九日午後四時ごろには既に右足弛緩性麻痺を来たしていたものと推認される。もつとも、筋肉注射の状況については、右以上の詳細を証拠によつて確定することが困難であるから、結局、同原告の右臂部には、ネオスペロン二本又は三本が打たれたか、若しくはネオスペロン一本又は二本とテラマイシン一本が打たれたか、のいずれの可能性も残ることになる(以下、同原告の右臂部に打たれた注射を「本件注射」ということがある。)。

二因果関係

まず、一審原告らは、一審原告進の右足麻痺の原因が、本件注射によつて坐骨神経麻痺を来たしたことによるものである旨主張するので、この点につき判断する。

(一)  筋肉注射の危険性等について

〈証拠〉を総合すれば、臀筋注射による坐骨神経麻痺には、大別して、注射針で直接神経を穿刺し又は神経内に薬液を注入する場合と、神経周辺に薬液を注入してこれが神経に浸潤する場合とがあり、前者では概ね注射時に電撃痛又は放散痛を訴え、直ちに麻痺を来たす場合が多いが、後者では数時間ないし数日後に麻痺が発現することもあること、臀筋注射の安全部位としては、従来一般にグロッス氏三角部ないし藤河氏点(臀裂上端より四又は五指脛外側の点)が推奨されていたが、右部位の直下に坐骨神経幹が位置するところからこれを危険視し、代わりにクラーク氏点(前腸骨棘と後腸骨棘とを結ぶ線上の前側三分の一の点)を勧める見解も有力であり、この見解からすれば、本件注射の部位は不適当と判断されること、ネオスペロン及びテラマイシンはいずれも神経毒を有する薬剤であることが認められる。

そうすると、前記麻痺発現の経過、注射時に異常号泣等がなかつたことからみて、本件注射によつて直接坐骨神経が損傷され又は右神経内に薬液が注入されたとの可能性は否定されなければならないが、薬液が坐骨神経周辺に注入されて浸潤し、その毒性によつて右神経の麻痺を来たしたとの可能性はにわかに否定することができず、礒部医師が一審原告進の右足麻痺の原因を本件筋肉注射による右坐骨神経不全麻痺と診断したことは既述のとおりである。

(二)  山本医師の所見について

(1)  〈証拠〉によれば、京都市の洛陽病院整形外科医師山本潔は、昭和五五年五月三〇日、島根医科大学整形外科講師高田晃平に依頼して一審原告進に対し筋電図検査を実施させ、同年六月四日には右洛陽病院の品川理療士に指示して同原告に対し徒手筋力テストを実施させるとともに自らも同様の検査を行うなどし、以上の各検査結果や一審原告進の母である同芳江に対する問診の結果、更には原審で提出・援用された訴訟資料を種々検討した結果、一審原告進の右足麻痺の原因は本件注射による坐骨神経単独麻痺である旨一審原告らの主張に沿う結論を導いているところ、その根拠を要約すれば次のとおりであること、すなわち、(イ)徒手筋力テストの結果、股関節運動に関与する筋群のうち、坐骨神経系の上臀神経支配の中小臀筋、大腿筋膜張筋に筋力低下が認められたが、大腿神経支配の腸腰筋、閉鎖神経支配の内転筋群には筋力低下が認められず、膝関節運動に関与する筋群では、坐骨神経支配の屈筋群に抵抗に抗するほどの筋力が認められなかつたのに対し、大腿神経支配の大腿四頭筋には異常がなく、また、足関節及び足部では、坐骨神経系の腓骨神経支配の前脛骨筋と脛骨神経支配の後脛骨筋の筋力が半減していたが、他の筋群では軽度の筋力低下が認められたに過ぎなかつたこと、(ロ)右足背に軽度の痛覚過敏状態が認められるうえ、母親に対する問診結果によつて、礒部医師の診療時に針先で右足をつついた際や、約一週間後に父親が右足背をつねつてみた際にも痛みを訴えなかつたことが窺われることや浜田病院小児科診療日誌昭和四四年一〇月六日欄に「右蹠の触覚やや改善」との記載があることから判断して、麻痺発現の当初から知覚障害があつたと考えられるところ、これは運動麻痺と共に知覚麻痺が同時に存在していたことを窺わせるもので、このことは脊髄前角細胞疾患による麻痺を否定する有力な根拠となること、(ハ)一審原告進は発症後約三週間で起立歩行が可能となつているが、坐骨神経麻痺のある二歳の幼児に大腿神経麻痺が合併していれば、このように早期に起立歩行が可能になるとは考えられないし、また、右足膝蓋腱反射がやや減弱しているとの所見も、対象者の年齢に照らして有意とは考え難いこと、(ニ)電気変性反応検査における電流閾値の測定は経皮的電気刺激によつて行うため、皮膚の状況、浮腫の有無等によりかなりの変化を示し、筋収縮の状況をも考慮に入れなければ、測定値が正常範囲であるか否かの判定が不可能であるところ、一審原告進に対する前述の検査の結果からは右の点の情報が全く得られないうえ、その測定値自体についても、同じ大腿神経支配の縫工筋では殆ど左右差がないのに、大腿四頭筋では1.4mAの差があり、また、坐骨神経系の腓骨神経支配の長拇指伸筋では全く左右差がないのに対し、前脛骨筋では1.3mAの差がある等の矛盾があるから、右検査結果から大腿神経及び坐骨神経の両者の麻痺を確診することはできないこと、(ホ)前記高田講師による筋電図所見は、安静時には異常波形は見られないが、随意収縮時において、左足は正常波形を示すのに、右足の筋電図に多相性で高振幅の波形が混在し、干渉波の形成が不完全であることから、右足全体に神経原性疾患(前角細胞疾患、末梢神経障害など)の存在が疑われる、とするものであるが、右検査の実施には針電極の設置の仕方に技術上の問題があるうえ、患者が痛がるなどして協力しない場合もあるので、右検査結果は考慮に入れないのが相当であること、というものであることが認められる。

そこで、以下山本医師がその所見の根拠として掲げる右(イ)ないし(ホ)の点につき順次検討する。

(2)  まず、(イ)の徒手筋力テストの点についてみるに、〈証拠〉によれば、徒手筋力テストは神経麻痺の範囲・程度を把握するのに極めて有用な検査方法であることが認められるけれども、他方、右永山証言によれば、右検査によつては検査時における筋力の状況を知り得るに過ぎず、その検査結果から直ちに過去の時点での筋力の状況を推知するのは困難であつて、特に、異常がないからといつて、過去においても異常がなかつたと断定することはできないことが窺われるから、一審原告進の麻痺発現から一〇年余を経過した後に行われた前記徒手筋力テストの結果を評価するに当たつても、右の点に留意する必要があると考えられる。

(3)  次に、(ロ)の知覚障害の点についてみるに、〈証拠〉によれば、国立予防衛生研究所ポリオサーベイランス委員会は、定型的と思われるポリオの審査判定基準の一つとして、知覚障害の不存在を挙げていることが認められ、これが一般的に承認されているものと推認される。しかしながら、本件においては、一審原告進の麻痺発生直後になされた礒部医師の「知覚障害不明」との診断及び当審証人永山五哉の証言に照らして、母親に対する問診の結果や診療日誌中の右足の触覚に関する記載から、麻痺発生当初より知覚障害があつたと推認することには疑問があるのみならず、仮に麻痺の当初において何らかの知覚障害があつたとしても、〈証拠〉によれば、ポリナによる麻痺の初期においても軽度の知覚障害を伴う場合のあることが肯認できるから、右の点はポリオを含む脊髄前角細胞疾患の可能性を否定する論拠として必ずしも十分ではないというべきである。また、右足背に現存するとされる軽度の痛覚過敏状態にしても、後述のとおり、山本医師の検診に先立つて行われた永山、宮田両鑑定における知覚検査ではいずれも知覚異常が認められなかつたことに照らして、これを過去における知覚障害の存在を窺知させる資料とすることには疑問がある。

(4)  次に、(ハ)の歩行状況等についてみるに、看護記録昭和四四年九月二二日欄には「つかまり立ち少し可能(足蹠が床に大体つく感じ)」との記載があり、診療日誌同年一〇月八日欄には「歩行比較的可能」、「再び」との記載があるところ、前掲山本証言はこれらの記載が大腿四頭筋の正常であつたことを示すものというのであるが、前者の記載は、当審証人江村壽の証言に照らして考えると、健常な左足のみでつかまり立ちし、右足は弛緩したままの状態を示すに過ぎないとも解されるし、後者の記載にしても、独力で歩行ができたか、また、起立が可能であつたか、の点を明らかにするものではないから、これらの記載が、大腿四頭筋が当時から正常であつたことを示すものといい得るかどうかは疑問である。また、〈証拠〉によれば、一審原告進の右足膝蓋腱反射は、昭和四四年九月二〇日から少なくとも同年一一月二日ごろまでは一貫してやや弱い状態であつたこと(なお、診療日誌九月二〇日欄の右足膝蓋腱反射に関する「N. schwach」との記載は、左足のそれに関する「n. b」(異常なし)との記載と対比して、「異常なし」を意味するものとは考え難く、また、同月二六日欄の右足膝蓋腱反射に関する「異常なし」との記載は、右江村証言によつて誤記であることが窺われる。)が肯認できるのであつて、被検者の年齢や麻痺肢の下腿の重量の関係から右足膝蓋腱反射がやや弱いという程度の所見では有意のものとはいえないとする〈書証〉及び証言は、前記期間中一貫して同様の所見が得られていることに照らして、必ずしも説得力があるとは思われない。

なお、膝蓋腱反射の低下が一般に大腿神経の異常を示すものであることは、〈証拠〉等によつて明らかである。

(5)  また、(ニ)の電気変性反応検査の点については、〈証拠〉によれば、電気変性反応検査は、一般に、被検者の皮膚に電極板を貼りつけ、電流を通じて筋肉が一定の収縮を起こすに至る閾値を測定するという検査方法であつて、簡便ではあるものの、皮膚の状況、浮腫の有無等によつて測定値が左右されやすく、筋収縮の状況をも合わせ考慮するのでなければ、判断の正確を期し難いという短所があり、昭和四四年当時においても些か古典的な検査方法と評すべきものであつたことが認められる。しかしながら、他方、一審原告進に対する前記電気変性反応検査は麻痺発生後三週間という適切な時期に実施されているうえ、その検査結果は、診療日誌及び看護記録と相俟つて、同原告の麻痺発生後間のない時期における症状を窺知させるべき数少ない客観的資料であるから、過去に生じた麻痺の原因を遡つて探究するという本件においては、にわかに軽視すべきものではなく、むしろ、右に述べた限界に留意しつつこれを顧慮することとするのが相当である。もつとも、〈証拠〉によれば、右検査結果中には、縫工筋及び長拇指伸筋の測定値につき山本医師の指摘するような矛盾点のあることが看取されるが、証言によれば、右二つの筋に対しては、解剖学的にみて、経皮的に正確に電気刺激を加えること自体が困難であることが窺われるから、その測定値が他の筋の測定値と整合しないことは特に異とすべきことではなく、したがつて、右のような矛盾点の存在から直ちに右検査結果全体を信用し難いものとするのは早計というべきである。

(6)  更に、(ホ)の筋電図所見の点についてみるに、〈証拠〉によれば、筋電図検査は、一般に、被検者の筋肉内に針電極を刺入、設置して安静時及び随意収縮時における活動電位を増幅・記録し、その波形を検討することによつて、神経障害の有無を判断するという検査方法であること、筋電図は、脊髄前角細胞の興奮状態が波形として記録されるもので、異常波形の存在は前角細胞又はそれより派生する末梢神経の障害を推知させるものであること、もつとも、右検査には、針電極が微小なものであつて、筋肉の限られた範囲の情報を伝えるに過ぎないところから、その設置の仕方につき技術上の問題があるうえ、特に、随意収縮時の検査においては、被検者の非協力や針電極の刺入による痛みのため、十分に筋収縮が行われず、正確な情報が得られない可能性があることが認められる。そして、前掲山本証言によれば、同医師は、筋電図検査に伴う右のような一般的問題点と前記高田講師による検査の結果に現われた波形の異常が必ずしも十分なものではないとの判断から、右検査結果ないし高田講師の所見は、前記徒手筋力テスト等に基づく自己の所見を左右するほどのものではないと考えた、というにとどまり、右筋電図検査の実施方法等に具体的な疑義があるとするものではないことが明らかである。のみならず、山本医師自身、その証言中で、後述の宮田鑑定の際に実施された筋電図検査において、その実施方法に誤りがなく、かつ、大腿神経及び坐骨神経両支配筋群にいわゆるジャイアントスパイク(粗大放電)が認められたとすれば、自己の所見を再検討せざるを得ない旨示唆していることに留意すべきである。

(三)  永山鑑定について

前掲乙第一号証の一一、原審鑑定人永山五哉の原審及び当審証言、原審における同鑑定人の鑑定結果によれば、広島大学医学部医師(当時)永山五哉は、昭和四七年一一月ごろから翌四八年三月ごろまでの間に、一審原告進の症状を直接診察し、かつ、膝蓋腱反射及びアキレス腱反射の検査、知覚(触覚、痛覚、温覚、冷覚)検査、発汗検査を実施した結果、同原告の患側(右側)の大臀筋、大腿四頭筋、膝外転筋群の筋力が健側(左側)に比して低下しており、そのために右膝の外反及び反張を来たしていること、患側の膝蓋腱反射及びアキレス腱反射がともに著しく低下していること、知覚検査及び発汗検査においては左右差が認められなかつたこと、以上のような所見を得たこと、また、前記電気変性反応検査の結果中の測定値のうち、大腿神経支配の大腿四頭筋(左側2.1mA、右側3.5mA)、坐骨神経系の腓骨神経支配の前脛骨筋(左側0.9mA、右側2.2mA)、脛骨神経支配の腓腹筋(左側0.8mA、右側1.9mA)の各数値につき有意差を肯定すべきものと判断したこと、そして、右の所見、判断に基づき、同原告の現症の原因として、坐骨神経麻痺及び大腿神経麻痺の合併を想定し、その病変を脊髄内に求めるのが相当であるとの結論を得たことが認められる。

もつとも、前掲甲第二六号証の一及び山本証言と当審証人永山五哉の証言とを対照すれば、一審原告進の右膝の外反及び反張と大腿四頭筋等の筋萎縮は、坐骨神経麻痺によつて右下肢全体の運動が制約され、坐骨神経支配筋群のみならず、大腿神経支配筋群にも廃用性萎縮を来たしたことを主因とするものであるとの説明もあながち不可能ではないことが窺われる。また、〈書証〉、当審証人永山五哉の証言を総合すれば、知覚機能はその障害の程度・態様によつては時間の経過とともに再生、回復する可能性があり、自律神経によつて支配される発汗機能も同様であることが認められるので、検査時に知覚障害及び発汗障害がなかつたからといつて、直ちに当初からこれらの障害がなかつたことにはならない。右鑑定の当否を判断するに当たつて、以上の点に留意すべきことはいうまでもない。

ところで、知覚検査については、触覚及び痛覚の簡単な検査では不十分であるとの指摘もあるが、他方、右両検査の有用性を肯定する見解もあるから、一概にこれらの検査のみでは不十分ということはできない。また、前掲山本証言中には、前記電気変性反応検査の結果の評価につき、有意差の有無の判定基準はないとして、大腿四頭筋の測定値における左右差が有意のものか否かは疑問であるとする部分があるが、前掲永山証言に照らして考えれば、有意差の有無は健側との対比において相当の差異が看取できるか否かの点で判定すれば足り、前記大腿四頭筋の測定値については有意差を肯定してしかるべきものと思われる。そして、前記電気変性反応検査の結果は、その検査方法に内在する既述のような限界に鑑みれば、それのみから一定の結論を導くのは困難であるにしても、少なくとも右足の坐骨神経支配筋群のみならず、大腿神経支配筋群にも何らかの異常があつたことを窺わせる一資料となり得るものというべきである。

(四)  宮田鑑定について

前掲乙第四六号証の二、原審鑑定人宮田雄祐の鑑定の結果、同鑑定人の原審証言によれば、大阪市立大学医学部医師宮田雄祐は、昭和五〇年三月ごろから翌五一年三月ごろまでの間に、一審原告進の症状を診察し、筋力テスト、膝蓋腱反射及びアキレス腱反射の検査、知覚(触覚、痛覚)検査を実施した結果、右腸腰筋及び大腿四頭筋に明瞭な筋力低下が認められたほか、他の右下肢筋にも筋力低下があつたこと、右側の膝蓋腱反射及びアキレス腱反射がともに著しく低下していたこと、触覚及び痛覚には左右差が認められなかつたこと、以上のような所見を得る一方、これより先の昭和四九年一一月一五日に実施した筋電図検査の結果、右側の大腿直筋及び前脛骨筋の随意収縮時における筋電図中にいずれも典型的なジャイアントスパイクが現われているものと判断し、以上の各所見、判断に、本件注射と同様の臀筋注射によつて脊髄からの走行経路を異にする大腿神経と坐骨神経とを同時に麻痺させることは解剖学的にみて殆ど不可能であるとの知見を合わせ勘案した結果、同原告の右足麻痺の原因として、急性の脊髄前角細胞の障害を想定し、これがポリオ、エコー、コクサッキー等のウイルスの感染によるものである可能性が大であるとの結論を得たことが認められる。

そして、右筋電図検査の実施状況は証拠上明らかではないが、その実施方法ないし検査結果の正確性に疑義を懐かせるような資料は見当たらないし、また、右側の大腿直筋及び前脛骨筋の随意収縮時における筋電図中にジャイアントスパイクと称すべき異常波形が現われているとの評価・判断についても、格別の反証がない以上、これを信用すべきものと考えられる。

ところで、一審原告らは、筋電図検査が神経麻痺の診断において補助的な検査方法にとどまるものである旨主張し、当審証人礒部憲二の証言中にはこれに沿う趣旨の部分があるが、当審証人永山五哉の証言に照らして考えれば、筋電図検査は再現性のある点に長所があるのであつて、麻痺発生から相当長期間を経た後における診断方法としては極めて有力な手法というべきであるから、右主張及び礒部証言は当たらない。また、一審原告らは、筋肉に廃用性萎縮があるに過ぎない場合にもその筋電図にジャイアントスパイクが現われる可能性がある旨主張するけれども、この主張を裏付ける資料、証拠は全くない。

(五)  ポリオ罹患の可能性について

(1)  〈証拠〉を総合すれば、ポリオ生ワクチンは、接種者に対する直接的な免疫効果のほかに、これが集団的に投与された場合、その集団内に病原体が存在することが困難になり、ひいては非接種者が感染する機会も少なくなるという集団免疫の効果も有するものであつて、その予防効果は顕著なものであること、我国においても、昭和三六年夏に生ワクチンの投与が開始されて以後、届出ポリオ患者数は著減し、昭和三五年五六〇六名、昭和三六年二四三六名であつたのが、昭和三七年には二八九名、昭和四四年には一六名、昭和五〇年には四名、そして、昭和五一年から昭和五三年までは零となり、ポリオ罹患の可能性は疫学的には殆ど無視して差し支えないとまでいわれる状況になつたことが認められる。しかしながら、〈証拠〉によれば、この間の昭和四五年にはワクチンに由来するものと推認されるポリオ患者が発見され、次いで、昭和五五年一月には大阪市で八歳の女児に、同年八月には長野県で八歳の男児にそれぞれ麻痺型ポリオが発生したこと、昭和五五年の患者両名はいずれもワクチンの接種をしていなかつたこと、また、長野県の患者からはワクチン株とは抗原体の異なるポリオⅠ型ウイルスが検出されたことが認められる。

したがつて、前記生ワクチンの投与開始以後においてもポリオウイルスが根絶されたわけではなく、なおワクチン由来株又は自然株(野生株)のポリオウイルスが潜在しているものと認められる。

(2)  〈証拠〉によれば、予防接種法一四条によるポリオの予防接種は、生後三か月から一八か月に至る期間を定期とし、Ⅰ型、Ⅱ型、Ⅲ型を含む三価ワクチンを経口的に六週間以上の間隔で二回投与することとされていること、経口ワクチンは完全に連続して服用しなければ有効でないとされていることが認められる。

しかるに、一審原告進に対するワクチン接種が昭和四三年一〇月一六日の一回のみであることは一審原告らの自陳するところであり、しかも、一審原告進の年齢等に鑑みれば、自然免疫の取得の可能性も低いものと考えられるから、同原告は十分に免疫力を取得していなかつたものと推認するほかはない。

(3)  そうすると、一審原告進がポリオに罹患していた可能性は、疫学的にみる限りさほど大きいものとはいえないが、逆にこれを否定し去ることも困難であるといわなければならない。

(六)  以上に述べたところを前提として考察を進めるに、本件注射による坐骨神経単独麻痺をいう一審原告らの主張に沿う山本医師の所見は、詳細かつ周到な内容のものであつて、相当示唆に富む見解ではあるけれども、その推論の前提事実若しくは推論の過程には前記(二)の(2)ないし(6)で説示したような問題点が含まれていることやこれと相反する永山、宮田両鑑定の結果に照らして、その結論の妥当性には疑問を禁じ得ず、右山本医師の所見と前記(一)で説示した臀筋注射の危険性等に関する事情を合わせ考えてみても、一審原告らの右主張を肯認するには到底十分とはいえず、ほかにこれを認めるに足りる証拠はない。

かえつて、先に説示したとおり、一審原告進には、右足麻痺発生後一か月以上の間、一貫して右側膝蓋腱反射の若干の低下がみられたところ、これは大腿神経の異常を示す徴表と考えられること、前記電気変性反応検査は麻痺発生後三週間という適切な時期に行われたものであつて、その検査結果は、坐骨神経支配筋群のみならず、大腿神経支配筋群にも異常があつたことを示す一資料たり得るものであること、宮田医師による筋電図検査においては、坐骨神経支配の前脛骨筋及び大腿神経支配の大腿直筋の各筋電図中にいずれもジャイアントスパイクが看取されたが、これは脊髄前角細胞又はこれより分岐する右両神経に障害があることを窺知させるものであること、高田講師による筋電図所見も右足全体に神経原性疾患の存在が疑われるというものであること、本件注射によつて大腿神経及び坐骨神経を同時に麻痺させることは解剖学的に不可能であること、また、一審原告進の麻痺発生の当初において知覚障害があつたとの確証はなく、仮に軽度の知覚障害があつたとみる余地があるとしても、必ずしもポリオ等脊髄前角細胞疾患と矛盾するものではないこと、永山鑑定の際に実施された知覚検査及び発汗検査、宮田鑑定の際に行われた知覚検査においては、いずれも左右差が認められなかつたこと、その他、永山、宮田両鑑定の結果を総合勘案し、更に、前記(五)のポリオ罹患の一般的可能性をも合わせ考えれば、一審原告進の右足麻痺は脊髄前角細胞の疾患、就中、ポリオに罹患したことによつて生じたとの蓋然性が大であると認めるのが相当である(なお、本件注射による坐骨神経麻痺と脊髄前角細胞疾患とが同時に発生することも理論上あり得ないではないが、本件においてそのような稀有の事態を想定するのは不合理である。)。

もつとも、礒部医師が一審原告進の右足麻痺の原因を右坐骨神経不全麻痺と診断したことは既述のとおりであるが、同医師の原審及び当審証言によれば、同医師は、江村医師や一審原告芳江の説明から、麻痺の原因として本件注射しか念頭におかなかつたため右のような診断をしたもので、証言時において診療日誌から判断する限り、大腿神経及び坐骨神経の双方に麻痺があつたとみるのが相当である、というのであるから、同医師の見解は全体として右の結論と矛盾するものではない。

一審原告らの前記主張は採用することができない。

2 次に、一審原告らは、仮定的に、一審原告進は昭和四四年九月一六日当時、ポリオウイルスによつて発熱し、ポリオの前駆期にあつたところ、前記五本の筋肉注射を受けたため、ポリオの症状が悪化して右足麻痺を来たした旨主張し、一審原告進が右のとおりポリオの前駆症状を呈していたこと及び同原告の右足麻痺がポリオによるものであることは、当事者間に争いがない。そこで、右筋肉注射がポリオによる麻痺発現の原因となつたか否かにつき判断する。

(一)  〈証拠〉によれば、一般に、ポリオウイルス感染者のうち、九〇ないし九五パーセントは特に症状の現われない不顕性感染者、四ないし八パーセントは消化器障害と上気道カタル症状を示すだけで、夏風邪との鑑別が困難な不全型、0.5ないし1パーセントは更に症状が悪化して髄膜刺激症状を示すものの、麻痺は出現しない非麻痺型、約0.5パーセントは四肢等に弛緩性麻痺を来たす麻痺型であると報告されており、これによると、不顕性感染者と麻痺型ポリオ患者の比率は一対一八〇ないし一九〇であることになるが、一対六〇〇ないし三〇〇〇あるいは一対一〇〇〇であるとする報告例もあること、また、ポリオによる麻痺の発現には種々の因子が関係するといわれ、ウイルス側では、血清学的型、向神経性(毒力)、感染ウイルス量、個体側では、腸管の局所免疫、血中中和抗体量、体質、素質、年齢、栄養、ストレス(妊娠、過労、寒冷、外傷、手術、注射等)、ホルモン等が挙げられていること、そして、これらの因子はウイルスの体内又は中枢神経への侵入を容易にし、あるいは中枢神経に定着したウイルスの増殖、障害作用を助長すると考えられており、特に、個体の感受性を決定する第一義的な因子は免疫抗体で、その量、産出能力ないし速度等が最も影響を持つとされていることが認められる。

右の報告等によれば、ポリオウイルスに感染しても麻痺の発現にまで至る例は極めて少ないこと、ポリオによる麻痺の発現には種々多様な因子が複合的に関与するが、個体側で最も影響の度合が大きいのは免疫抗体の量等であることが肯認し得る。

(二)  次に、注射がポリオによる麻痺発現の動機となることを直接的に肯定する趣旨の資料は次のとおりである。

(1)  甲第三号証(アメリカン・ジャーナル・オブ・パブリックヘルス一九五二年二月号)は、一九五〇年(昭和二五年)にアメリカ・ニューヨーク州でポリオが大流行した際、二一三七の症例につき注射とポリオによる麻痺との相関関係を調査した結果を報告したものであつて、麻痺発生前二か月間に免疫注射、ペニシリン注射、その他の注射を受けた者の発病率は右期間に注射を受けなかつた者のそれの約二倍であること、注射の位置と麻痺の位置との間に相関関係があること等を述べている。

(2)  甲第四号証(アメリカン・ジャーナル・ハイジェリア一九五三年五七巻)は、一九五一年(昭和二六年)にフレンチオセアニアで流行したポリオにつき、筋肉注射と麻痺との関係を調査した結果を報告したもので、一五歳以下の年齢層で梅毒対策として臀筋注射を受けた者は、これを受けなかつた者より下肢に麻痺が発現する率がはるかに高かつたとしている。

(3)  宮田鑑定の結果及び原審証人宮田雄祐の証言は、筋肉注射がポリオの症状を悪化させ、麻痺型ポリオを起こしやすいことは、一九五〇年代以降アメリカ、イギリス、フランス等で発行された多数の文献で発表されており、これが国際的な定説となつていること、ネオスペロン及びテラマイシンはともに高度の組織障害性を有することが宮田医師自身の動物実験によつて確認されており、これらの薬剤の注射本数を重ねると、小手術に匹敵するほどの高度の筋肉障害を来たすことになること、したがつて、一審原告進に対する前記筋肉注射が麻痺型ポリオを起こした可能性も十分考えられること等を述べるものである。

(三)  これに対して、注射が麻痺型ポリオの誘因となることに否定的な趣旨の資料は次のとおりである。

(1)  乙第二七号証(一九五二年にアメリカで発行された「免疫製剤並びにペニシリンの予防注射のポリオ発生と重症度に及ぼす影響」と題する論文)は、一九四九年から一九五一年までの三年間に発生した五歳以下のポリオの症例一一三六例につき、免疫注射及びペニシリン注射と麻痺型ポリナとの関係を調査した結果に基づき、麻痺発生前一か月以内にジフテリア、百日咳、破傷風ワクチンの接種を受けた者においては、接種肢に麻痺の現われる例が多いが、麻痺の発現率自体には差異がなく、ペニシリン注射の場合は何らの差異も認められなかつたとし、間近に行われた注射が麻痺の危険を増大するという証拠は不十分であると述べている。

(2)  乙第一五号証の一、二は、昭和三一年に愛媛県周桑郡で流行したポリオにつき、臨床的、ウイルス学的及び血清学的見地から実施した調査結果を報告したものであつて、多くの感染者中、麻痺を発現させる外的動機として、発病前の予防接種、外傷、手術、過労等との関係をみたが、特に動機と認められるものはなかつたと述べている。

(3)  乙第一六、第一七号証の各一、二は、昭和三三年に鹿児島市でポリオが流行した際に実施された調査の結果に基づき、麻痺発現の動機として発病前一か月間の各種注射の頻度を、患家周辺の同一年歳児を対照として比較したが、両群間に有意差は認められなかつたとしている。

(4)  また、前掲甲第六号証の一、二(昭和三五年発行)には、ワクチン注射をすると麻痺型ポリオになりやすく、また、注射をした部分に麻痺が起こりやすいといわれているが、普通の薬品注射では一般にそのおそれはないと考えられているとの記述があり、前掲乙第一三号証(昭和四二年発行)には、麻痺発生に影響する因子として特に注射、扁摘などが一時問題になつたが、それほど絶対的なものではないようであるとの記述がある。

(四) そこで考察するに、ワクチン注射や筋肉注射がポリオによる麻痺の発現率を高めるとする前記(二)の(1)、(2)の外国文献、宮田医師が原審証言において援用する他の外国文献及びこれらに立脚する同医師の見解からすれば、筋肉注射がポリオによる麻痺の発現に何らかの影響を及ぼすと考える余地もあり得ないではないが、他方、これと相反する趣旨の前記(三)の(1)の文献、更に、筋肉注射等が麻痺型ポリオの動機となるとの報告を前提として、より綿密、細心な調査を試みたものと推認される前記(三)の(2)、(3)の報告において、予防接種や各種注射が麻痺発現の動機とは認められなかつたとされていること、前記(三)の(4)の各文献、特に、比較的新しい時期に発行された乙第一三号証の文献では、麻痺発現に影響する因子として注射は必ずしも絶対的なものではないようであると述べていること、前記(一)で説示したとおり、ポリオウイルス感染者における麻痺の発現率は極めて低いものであり、また、ポリオによる麻痺の発現には種々多様な因子が複合的に作用するが、個体側で最も影響の度合が大きいのは免疫抗体であると考えられること、しかるに、一審原告進は前述のとおり十分に免疫力を取得していなかつたと推認されること、以上の点をも合わせ考えれば、筋肉注射がポリオによる麻痺発現の誘因たり得るとしても、必ずしも絶対的なものではなく、高々多数の因子のうちの、それもさほど重要視するには足りない因子の一つに過ぎないものとみるべきであり、一審原告進に対する前記筋肉注射が合計五本(右臀部に対するものは二本又は三本)であること、更に、前掲宮田証言及び宮田鑑定の結果から窺われるネオスペロン及びテラマイシンの組織障害性(ただし、右証拠によつても、これらの薬剤が他の筋注剤に比して特に強度の組織障害性を有することまで肯認するには十分でなく、ほかにこれを認めるに足りる証拠はない。)を参酌しても、一審原告進に対する前記筋肉注射とポリオによる麻痺の発現との間に相当因果関係を認めるには到底不十分というべきである。前記(二)の各証拠中右説示に反する部分は採用できず、ほかに右相当因果関係を肯認するに足りる証拠はない。

なお、念のため、江村医師が一審原告進に対し前記筋肉注射をしたことに過失があつたか否かの点についても、後に触れることとする。

3 更に、一審原告らは、ポリオによる麻痺発生後における一審原告進に対する治療行為に種々不適切な点があり、そのために同原告が重篤な後遺症状を残すに至つた旨主張するが、この点は過失の有無の問題と関連するので、項を改めて判断することとする。

三過失

1  まず、江村医師が矢田看護婦をして一審原告進に対し、前記筋肉注射をさせたことに過失があつたか否かの点につき判断する。

(一) 前記二の2で説示したとおり、一九五〇年代初期から筋肉注射がポリオによる麻痺発現の動機となることを肯定する趣旨の外国文献が相次いで現われたが、他方、これに否定的な同時期の外国文献もあり、特に、我国で行われた調査の結果はいずれも否定的なものであつたこと及び〈証拠〉を総合すれば、昭和四四年当時の我国医学界においては、筋肉注射がポリオによる麻痺発現の動機となるとする見解のあることは概ね周知されていたものの、必ずしもこれが一般に承認されていたわけではなく、高々、そのような危険性が指摘されている措置はできるだけ避けるに越したことはないとの見地から、ポリオ流行時あるいはポリオウイルス感染者には不必要な注射を避けるべきことが提唱されていたに過ぎないものと認めるのが相当であり、前掲宮田証言及び宮田鑑定の結果中右認定に反する部分はにわかに採用し難く、ほかに右認定を覆すに足りる証拠はない。

したがつて、江村医師が昭和四四年当時、筋肉注射がポリオの症状を悪化させ、麻痺の発現を容易にするとの認識を有しなかつたこと(この点は、同医師の原審第三回証言によつて明らかである。)は、やむを得ないところであつたというべきである。

(二)(1)  〈証拠〉によれば、一審原告進は、昭和四四年九月一五日夕刻から発熱、喘鳴の症状を呈し、翌一六日以降江村医師の診療を受けたところ、その症状の推移は次のとおりであつたこと、すなわち、右一六日は、体温37.8度で、心音が多少亢進し、肺に圧軋音、笛声音及び捻髪音があり、咽頭には中等度の発赤が見られ、胸部レントゲン写真上、右下肺野気管支に陰影の増強が認められたこと、一七日は、体温38.1度で、肺になお捻髪音があり、再度検温したところ、37.6度であつたこと、一八日は、体温37.5度で、表情、心音に異常はなく、咽頭にもさほど発赤はなかつたが、呼吸音は粗かつたこと、一九日は、体温三八度で、咽頭の発赤はなかつたが、呼吸音が粗く、肺に捻髪音があり、再度検温をしたところ、38.1度であり、また、血液検査(血像検査)の結果、白血球数が若干減少していることが判明したこと、そして、江村医師は、右一六日の所見から一審原告進の症状を毛細気管支炎と診断し、かつ、右一九日の血液検査の結果に基づきその病原をウイルス性のものと推測したことが認められる。

(2) ところで、我国においては、生ワクチンの投与開始後ポリオ患者数が著減し、昭和四四年にはわずか一六名の届出があつたに過ぎず、これに罹患する可能性は極めて僅少なものであつたことは先に説示したとおりであるうえ、一審原告進に対し前記筋肉注射がなされた昭和四四年九月当時において、同原告が居住していた島根県浜田市若しくはその周辺地域でポリオが流行しあるいは同原告以外にポリオ患者が発生していたことを窺わせる証拠は全くない。そして、前記二の2の〈証拠〉によれば、麻痺型ポリオの前駆期ないし前麻痺期においては、発熱、疼痛、嘔気・嘔吐、発汗、下痢、便秘、咳、咽頭痛等多彩な症状が見られ、中でも発熱は最も一般的な症状で、概ね三八度ないし三九度台の発熱が二、三日持続することが多いが、ポリオに特有の症状はないため、ポリオの流行時等でない限り、その症状(麻痺発生前の症状)からポリオとの診断をすることは殆ど不可能であり、このことは、昭和四四年当時はもとより、現在の医学水準に照らしても妥当するものであることが認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(3)  したがつて、一審原告進の前記症状からポリオウイルス感染の可能性を予見することは不可能であつたというべきである。

(三) 右に説示したとおり、江村医師としては、昭和四四年九月一九日以前における一審原告進の症状からポリオ罹患の可能性を予見することが不可能であつたのみならず、筋肉注射がポリナの症状を悪化させるとの認識を欠いていたことにも相当の理由があつたのであるから、ポリオによる麻痺の発現との関係において、同医師に筋肉注射を回避すべき義務を肯認する余地はなく、同医師が前記筋肉注射をしたことに過失はなかつたというべきである。

2  次に、一審原告進の右足麻痺発生後における江村医師の麻痺に対する治療行為に不適切な点があつたか否かの点につき判断する。

(一)  〈証拠〉を総合すれば、ポリオによる麻痺の急性期における治療法としては、一般に、病変の拡大を防ぎ、予後を良好にする意味で安静が第一とされ、必要に応じて、疼痛その他の不快感を除去するため温湿布をしたり、ビタミンB1を単独で又はコリン製剤とともに髄腔内に注入し、ATP(アデノシン三燐酸)やビタミンB12を投与するなどの薬物療法を行つたり、更に、発症後約二週間を経過したころからは、薬物療法と併行して、マッサージ、低周波電流等による電気療法、温浴療法などの理学療法及び機能回復訓練を適宜行うべきものとされていること、その他、脊髄液圧を下げるため腰椎穿刺を勧める向きもあるが、安静保持との関係でこれを疑問視する見解もあり、また、ビタミンB1等の髄腔内注入についても賛否両論があり、更に、拘縮、変形の予防等の目的で麻痺肢への副木の装着を勧める見解もあるが、必ずしも確立された治療方法はないことが認められる。

(二)  〈証拠〉を総合すれば、江村医師は、前記のとおり、昭和四四年九月二〇日、整形外科医である礒部医師から、一審原告進の右足麻痺の原因につき注射液の浸潤による右坐骨神経不全麻痺との診断を受け、一応これを尊重すべきものと考えたが、坐骨神経麻痺の治療経験がなかつたため、その後の治療は整形外科で行うよう申し入れ、協議の結果、同原告の年齢や呼吸器系疾患の治療の必要性等に鑑み、結局、小児科医である江村医師自身が礒部医師らの助言を仰ぎながら引き続き治療を担当することになつたこと、もつとも、江村医師においては、麻痺型ポリオの可能性も念頭にあつたため、両者に有効な治療を行うこととし、右同日、一審原告進を入院させたうえ、案静を保持させる一方、右臀部の注射痕の箇所に超短波照射をし、次いで、右大腿部にパラフィン浴による温湿布を施し、更に、ビタメジン(活性ビタミン)の静脈注射をし、翌日以後も同様の治療を続け、同月二六日からは超短波照射に替えて低周波による電気療法を行い、翌二七日からはマッサージを開始し、その後歩行訓練を加えるなどして、昭和四五年五月二日の退院までこれらの治療・訓練を継続したこと、なお、江村医師は、ポリオの治療に関する自己の臨床経験や一審原告進の年齢等を考慮して、副木の使用は不適当と判断したため、右治療の間、これを使用しなかつたことが認められ、そして、遅くともマッサージ開始以後における温湿布及びマッサージは坐骨神経走行領域のみならず、右足全体に対して施されたものと推認するのが相当である。

もつとも、江村医師がポリオを念頭において治療に当たつたとの点については、診療日誌中にこれに沿う記載が見当たらないことや礒部医師にポリオの可能性を示唆したり、ポリオウイルスの検出を試みたりした形跡がないことに照らして、若干疑問がないわけではないが、他方、江村医師は、本件につき第三者的な立場から初めてポリオの可能性を指摘した永山鑑定より先の、原審第一回証言において既にポリオが念頭にあつた旨述べていること、同医師が診療日誌にその旨を記載しなかつたのは、ただ疑いのみで明確な証拠がなかつたうえ、責任のがれの弁解と解釈されるのを慮つたためであるとの説明(原審第二回証言)にも合理性があると思われること、その他、先に認定した電気変性反応検査の実施に関する事実等をも合わせ考えれば、前記認定に沿う江村医師の原審証言(第一ないし第三回)は信用に値するものということができるから、右前段の診療日誌不記載等の事情は前記認定を左右するに足りない。

また、原審証人岩宮公平、同江村壽(第三回)の各証言によれば、麻痺肢に副木を装着することの功罪は一概に決し難いことが窺われるので、江村医師が前記治療の際、副木を使用しなかつたことは格別問題視するに足りないし、そのために麻痺肢の拘縮、変形等が悪化したことを肯認すべき証拠もない。

(三)  右に説示したところと原審証人宮田雄祐の証言、宮田鑑定の結果とを合わせ考えれば、江村医師がした前記治療はポリオによる麻痺の治療として妥当なものであつて、積極的に不適切な治療を施したり、逆に当然なすべき措置を怠つたりしたことはなかつたと認めるのが相当である。

ところで、ポリオによる麻痺の回復率につき一審原告ら主張のような報告がなされていることは当事者間に争いがないが、〈証拠〉によれば、右報告にかかる回復率は、西沢昭医師がグルタミールコリン及びビタミンB1を髄腔内に注入するという治療を麻痺発症後一か月以内に開始した場合における治療成績に基づくものであつて、基礎となる症例数や症状の軽重等が不明であるのみならず、他の追試者による治療成績ともかなりの差異のあることが窺われるから、右回復率を一般化するのは困難というべきであるし、仮にこれを前提とするにしても、そのことから直ちに江村医師の治療に不適切な点があつたと推認することは到底できない。

また、江村医師が一審原告進の麻痺発生後、ポリオであることの確診に努めなかつたことや麻痺に対する治療を整形外科医に委ねなかつたとの点についても、これをことさら問題視する余地のないことは、先に説示したところから明らかというべきである。

四以上の次第であつて、一審被告に不法行為又は債務不履行に基づく責任があることを前提とする一審原告らの本訴各請求は、その余の点につき判断するまでもなく、失当としていずれも棄却されるべく、原判決中、一審原告らの請求の全部又は一部を棄却した部分は相当であるが、一審原告進の請求の一部を認容した部分は取消しを免れない。

ところで、一審原告進が昭和五三年九月二九日、仮執行宣言付きの原判決に基づき一審被告に対してその主張のとおりの強制執行をし、国庫金三二五万四〇二〇円を取得したことは、当事者間に争いがない。したがつて、民訴法一九八条二項に基づき一審原告進に対し、右三二五万四〇二〇円及びこれに対する強制執行の日の翌日である昭和五三年九月三〇日から支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める一審被告の請求は理由がある。

よつて、一審被告の控訴に基づき、原判決中一審被告敗訴の部分を取り消したうえ、一審原告進の請求を棄却し、かつ、一審被告の民訴法一九八条二項に基づく請求を認容し、一方、一審原告らの控訴はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき同法九六条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(藤原吉備彦 萩原昌三郎 安倉孝弘)

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